夫との残された日々

夫が肺小細胞がんのステージ3と宣告されて3年。
残された時間が少ないことを先日私にのみ告げられました。
何ができる?どうしたらいい?
そんな日々を綴っていきたいと思っています。

急変そして旅立ち。

この日記を始めて、まだ間もないというのに。


恐れていた急変で、夫が旅立ってしまいました。


痛みに苦しんだ2週間でしたが、最期は安らかでした。


今後は死別ブログ?の方に移ることになるのかな。


短い間でしたが、読んでくださった方がいらしたとしたら、心より御礼申し上げます。

進んでいく病状

ここ2日で、黄疸が進んでしまった。


食事をほとんど取れなくなってから1か月近く経つし、ほぼ毎日会っている私はさほど感じないが、久しぶりに主人を見る人がいたら、大分痩せたんだろう。


救急車が到着し、家から救急車まで運ばれていく姿を見た娘が

「お父さん、小さくなっちゃった・・・」とつぶやいていたのが忘れられない。


腫れている肝臓と、浮腫んでいる脚が痛々しい。


今日は私が行ってからMRIの検査に連れていかれたのだが、もう同じ態勢で寝ていることができず、検査ができませんでした、と戻ってきた。


今後は出来得る検査で進行具合を判断していくしかないそうだ。


夫の精神状態は相当悪く、今のうちに聞いておきたい話をそれとなくするとイラついて怒鳴られたりする。医師や看護師にはそんなことはないので、私への甘えなのだと自分に言い聞かすが、辛い。


若いからか、悪くなってからは本当にあっという間だ。


土日は各病棟お見舞いの人も多く、エレベーターも混雑している。

老夫婦で仲良さげにいらしている方などを見ると、心が締め付けられる。


私にはもうない未来。


おじいさんおばあさんになるまで、一緒にいたかったよ。

厳しい現実

昨日は、ホスピス転院についての、夫を交えての説明を医師がする、との予定。


現時点で、夫には「余命3か月」という具体的な数字は知らされておらず、

「もうガンへの治療はない」ということのみ。

夫も、それ以上は聞こうとはしなかった。


医師からは、「ホスピス転院は、患者本人が余命をある程度理解していることが条件」と言われていたので、今日はその告知があるのだろう・・・と朝から辛かった。


でも、医師からは具体的な余命の告知はなかった。


夫の今の状況(思考が鮮明ではない)、ここ数週間での病状の急な悪化での、弱った精神状態を考慮しての事らしい。


ホスピス転院の話もなく、希望するなら、この病院で緩和ケアを続けていくこともできる、と。


・・・そうなの?


混乱。


夫の思考が鮮明ではない原因は、モルヒネの影響だけではなく、もうパンパンに腫れた肝臓の機能の低下もあるとのことだったから、戻ってこない可能性もある。


となると、慣れたこの病院にずっといた方がいいのだろうか。


救急病院であるため、それができないと聞いていたので、本当に混乱する。


私が心配なのは、心のケアだ。


いくら具体的な余命が告げられないままとしても、ここまで病状が悪化していれば、死が遠くないことはわかると思う。


専門の先生のケアはあるのか、と伺うと、それはもちろん、との事なんだが・・・


とりあえず、日を改めてもう一度、と医師は病室を後に。


夫の緩和ケア、心のケア、一番大切。


でも現実は思考が急に停止した夫が今までは自分でやる、と私に手を出させなかった、

会社への傷病手続き,休職手当の手続きの期日が迫って、私は冷静にそちらもこなさなければならない。ローンも完済していないし、生活もしなくてはならないから。


心で、誰か助けて、って叫ぶ。


自分の現実認識の甘さにも腹が立つ。


なんとかなるさの性格が恨めしい。


疲れ果て床で寝ていて、研修で遅くなった娘に起こされた。


前にも後ろにも進めない現実。どうすればいい。